長距離散歩先で、草ボーボーの家を見たら、切なくなった。
ちょうど先日、実家の草取りを手伝ったばかりだったのだ。
老親の手には負えなくなった実家の庭の草取りを、子供と手伝い、
偉く両親には感謝されたが、
屈んで草を抜く作業は、偉く疲れたし、
両親の老いを痛感させられて心も疲れた記憶が鮮明だったのだ。
あの草ボーボーの家の人の事情を色々想像した。
私の親のように歳とって思うように体が動かないのかな?
草取りを担当してた人が亡くなったのかな?
病気で動けないのかな?
仕事が忙しくて草取りをする余裕無いのかな?
色々考えてたらとても切なくなってしまったのだ。
安全地帯の『あの頃へ』 という歌の気分になり、YouTubeで聴いたら、
切なさが加速した。
あの家にも、元気な家族が揃ってて、元気に綺麗に草取りしてたあの頃があったんだろうな…
それが今は…
切なさいっぱいだけど、お腹は空いて、お昼ご飯を食べた。
そしたら、
『課題の分離』
という言葉が頭に浮かんだ。
言葉として知ってるけど、意味をよく知らないので、検索した。
アドラー心理学で言われている概念だそうで、
それは、
自分の課題なのか、
相手の課題なのかを確かめて、
相手の課題であれば、相手が解決すればいいことなので、
自分は相手の課題に踏み込まない
という考え方。
この切なさの場合、草ボーボーの家の課題であって、私の課題ではない。
だから私は踏み込まなくていい。
そっか!
私が草取りしますよ、と申し出たところで困惑されるだけだろうし、現実的ではない。
私は地道に、草取りする元気が出るような情報を発信したり、
草取りする余裕が出るような社会を創っていくようにすればいいんだ♪
あっさり!
さっきまでの切なさは何処へやら?!
すっきりさっぱり🎶
そういえば、長距離散歩で空腹だった、低血糖だった。
疲れてたし。
だからヤケに切なくて、メランコリックな気分になったんだろう。
お昼ご飯を食べて、血糖値が適正になったら、 「課題の分離」 という言葉が浮かび、論理的に考えられて、メランコリックから抜け出した。
お腹空くと心も体も切なくなるのね。
心も体も栄養満タンで参りましょう!