人の一生は重荷を負うて遠き道を往くがごとし
とは、徳川家康の遺訓だそうです。
私は母からその言葉を聞きました。
「人の一生は重きを負うて遠き道を往くがごとしと言うんだから、何事も簡単にはいかないわ」
そんな感じで言ってたのを聞いたように覚えています。
そうか、人生は、重い荷物を背負って、遠くまで行くようなものなのか…
面倒だなぁ
大変だなぁ
それが私の人生のイメージになっていました。
仕事は辛いものだと思っていました。
苦手なプレゼンをして、ダメ出しされて、胃痛がするのを我慢しながら、無理して頑張る、
それが仕事だ
と思っていました。
就活前に統合失調症で病に倒れたので、幸いにも?つらい仕事につくことは出来ませんでした。
あれ?
仕事、楽しいじゃん!?
楽しい仕事って、あったんだ!?
それは私にとって嬉しい誤算でした。
仕事はつらいものだと思っていたので、仕事っぽくないとしばらく感じていたほどでした。
机に向かってウンウンうなるのが仕事だと思っていたので、 接客の仕事は楽しいし、仕事じゃないみたい、と。
でも、これも仕事なんだなぁ
と沁み渡るに連れて、仕事観が変わりました。
そんな楽しい仕事も、寝不足の日はつらいものでした。
眠くてつらい
眠いからうまく対応出来ない
寝不足は、楽しい仕事を楽しく出来なくなるから、もったいない!
ならば、寝不足にならないようにしよう!
早寝早起きしよう!
幼稚園の頃から、朝は、ぎりぎりに起こされて、頑張って起きて、超速で準備して、何とか間に合わせる、そんなものだと思ってました。
でも、朝活、などという言葉を聞くようになった頃で、朝の時間を優雅に過ごすのも良いなぁと早寝早起きに切り替えました。
一駅前で降りて大きな公園の植物や景色を愛でながら通勤し、 職場に着いたら脳トレの計算ドリルをし、 小腹を満たし、 満を持して仕事に臨む。
寝不足だとつらい仕事を、早寝早起きする、という工夫で、より充実した時間にすることが出来ました。
理想的な生活に変わりました。
人の一生が、重荷を背負って、遠い道を往くようなものだと思っていたら、 困ったことがあった時、
我慢する、
という対処をしちゃうんじゃないかと思います。
勉強はつらいものだから我慢して勉強しなきゃ
結婚は我慢って言うから我慢しなきゃ
…
でも、我慢してたら改善出来ない!
会社に待遇改善を訴えても改善しないなら、転職するとか起業するとか。
そもそも違法な長時間労働させるような会社は存続しない方がいいのだから、我慢することはブラック企業を支援することになります。
「勉強は遊びみたいなもの」
とは母の言葉。
知的好奇心を満たすことは1番楽しいことだと思います。
そう思えないのは、
勉強はつらいものだと思ってるからとか、
教え方が悪いとか、
勉強する目的が無いからとか、
色々要因はあると思います。
勉強自体の楽しさや、勉強して得られる知見の素晴らしさを知ることが、勉強を楽しむための工夫になると思います。
結婚は我慢するものだと思っていなければ、
困ったことや嫌なことを話し合って解決するようになるんじゃないかなぁ?
それが無理なら離婚することも悪いことだとは思いません。
そもそも一夫一婦制の結婚という制度もたまたま今の時代にあるだけで、結婚という制度もなかった頃から、人間はくっついたり離れたりしながら暮らして来たのだから、 結婚という制度にもこだわらなくてもいいんじゃないかなぁ。
我慢することで存続させることに本当に意義はあるのか?
我慢することは、私を幸せにしない。
耐え忍ぶことは、ストレスになり、栄養を消耗し、自律神経を乱して、心も体も病気にします。
私を生かさずに、会社や学校や家を守っても意味が無い。
私の一番の使命は、私を輝かせること。
だから、我慢は美徳ではありません。
我慢は悪徳です。
我慢はより良く生きるための工夫の放棄かもしれません。
明日の朝が来るのが楽しみ
今日は何して楽しもうか
そんな日々を工夫次第で過ごせます。
栄養療法を実践して自分を元気にしてゆけば、前向きになるし、名案も湧くし、実行する気力も体力もコミュニケーション力もついてきます。
栄養状態が良ければ、人生は楽しいものなんだなぁと感じるようになってます。
我慢しちゃうのは、待遇改善を訴える元気が無かったり、対案を考えられなかったり、自信がなかったりなどなど、栄養不足による面もあるのだろうと思います。
栄養療法で元気になって、幸せになりましょう♪
しあわせは作れる!